心を軽くする良薬、惑星9の休日をご存知ですか?
絵本作家のたむらしげる氏は、この作品は心や体が重いと感じた時読めば、どんな薬よりも体が軽くなる気がすると評した。
私は表紙とその言葉を読んで、この本を読んだ。
……軽くなんですよ、本当に。低重力もっと言えば無重力かのように、心と体が浮き上がるような感覚。
まるで別の惑星にいるかのように。宇宙空間に放り出されたかのように。
惑星9の休日は、その名の通り惑星9という星に住む人々を描いた作品だ。
特徴はどこか透き通っていて、それでいて柔らかい。
書き込みがあまり多くない背景が、その不思議な透明感をより際立たせている。
しかしその背景が、また存在感を示すから凄い。
流星と、走り去る少女。
作品の端々から、小さな人間から見る宇宙の広さ・偉大さが感じられる。
人間の事情とかに関係なく、宇宙は厳しく、美しく、面白く。
このシーン、私は特に好き。表現の仕方がもうね、たまらない。
流星を眺める少女。少しだけ力が込められる小さな手。
何かを願ったことが、言葉にしなくても読者に伝わってくる
。
そして走り去るその姿は、まるでその願いを打ち消そうかとするみたいで。
この、言わずとも読者に伝える……というのが、この作品の透明感と浮遊感を生み出しているのだと私は思う。
あえて全てを書かない。
考えさせるのではなく、感じさせる。
そういった表現が、私はこの作品の最大の魅力だと考えている
月で出会った不思議な生物の孤独を、人間に伝えるシーンがあった。
情報が伝達される。
描写されるのは、月の大地と以下の言葉だけ。
永遠のような時間 この荒れ果てた星で ただ一人
そして、このシーンに繋がる。
「どうして泣いているの」「分かってるだろ」
これはキャラとキャラの対話でありながら、作品と読者の対話でもある。
作中で言わなくても、書かなくても、「何故なのかが分かる」
どうして、全てを書かないのか。
私たちが、分かっているからだ。
その行動を、感情を、真意を。
考えるまでもなく、分かってしまう。書かれていない事柄を。
それは勘違いもあるかもしれないけど、それが正解でも間違いではないという「何となく」を、この作品は受け入れてくれる。
些細なことだと。「私」が感じたことはそのままでいいのだと。
このシーンもまた、全てを書いたわけではない。
曖昧な、ふわっとした言葉で物語を締める。
それでも私たちは、これが何を示しているかを読んで感じることができる。
好きだった人の作品が、機械の効果で大量に空に飛び出していって。
それを見たこの女性は、勘違いかもしれないけど、楽天的な好きだった人に祝われたと感じたと述べる。
この曖昧な表現が、私たちは「何となく」分かってしまうのだ
これが本当に凄い。分かってしまう。感じてしまう。
その重ねられた手の意味も、何となく分かってしまう。
これがもう、たまらない感覚
この書かずして感じさせる手法が、私たちを重力から開放させているのではないだろうか。
私たちの心の中に惑星9が、小さな宇宙ができているとでも言うのか
ずいぶんとロマンチックな表現にはなるが、魔法にかかっているのだ、これくらい言っても問題はない。
内側から、浮遊感を覚えるこの感覚は、もう他に例えることができない。
ちょっと褒めすぎ……という気もしますが、私には本当に合う作品だった。
ナンバー・ワンという作品ではないだろうが、誰かのオンリー・ワンになることができる素晴らしい作品だ。
ぜひ読んで欲しい。この読後感を、共有したい。
きっと軽くなる感覚が、体験できるはずだから。
※追記
電脳MAVOで町田先生の作品が読めるので、ぜひ。
惑星9の休日