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それは、透き通るような歪み。吉野朔実の「ジュリエットの卵」を読んで

少し前に、吉野朔実先生の訃報を知った。


www.huffingtonpost.jp


月下の一群は辛うじて読んだことはあるが、はてブのコメントで多く言及されていた「少年は荒野をめざす」を読んだことがなかったり。
私が吉野朔実先生の作品で一番読んだのは、「ジュリエットの卵」という作品だった。


で、NHKのニュースによると、ジュリエットの卵は双子の兄と妹の絆を描いたものらしい。
まあ、wikiにも「愛し合う双子の兄妹の物語」と書かれているから、多分大筋としてはそういう物語で合っていることは間違いない。
ただこう書くと、この漫画のもう一人の重要人物である下田が蚊帳の外になってしまうので、世界に触れた双子の再生の物語という風に本記事では解釈する。


今回の記事はもう20年以上前の作品の感想で、多分にネタバレを含んでいて、おまけに長文。
読む場合は、そのあたりを踏まえてもらえれば嬉しいなあ。

透き通るような歪み


この漫画は、双子の禁断の愛のようなものが描かれている。
事実、二人の登場時の関係は、双子であり恋人同士だ。


彼女たちにとって、それは当たり前のことだった。
むしろ、そうでないことがおかしいとでも言うかのように。


歪んでいる。
いつもの私なら、率直にそう思うはずなのに、なぜかそう思えない。
歪んでいるように感じない。


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きっとそれは、あまりにも透明だったから。
ヒロインの蛍は、私からすると常人とは違う感性を持っていた。
文庫本3巻のエッセイの言葉を借りれば、ベクトルが違うのだろう。


歪んでいるはずなのに、その歪みがはっきりと見えない。
私は私の感性で歪んでいると判断しているが、そもそもベクトルの違うものが見えていないのだ。
単純に文字面で捉えて、知識として歪んでいるとしているのだ。


知識ではそうなのだが、ベクトルの違う歪みが私には見えない。
見えてないのにそこにある歪み、だから私はそれを透明な歪みであると感じている。
そもそも、そのベクトルでそれは「歪み」ではない可能性も充分あるのだけれど。


この透明な歪みに、たまらなく惹きつけられた。


物語の根幹に、この歪みは常にあった。
見えない歪みの行く末が、どうしようもないくらい気になった。

蛍と水(みなと)いう毒


ヒロインの蛍は、前述している通り常人とは違うベクトルを持った女性だ。
悪い子では決してない、
ただ彼女の存在は、時として毒となる。


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これは、彼女の容姿が毒になった事例だ。
もちろん容姿だけではなく、性格的な部分もある。
お人形のような性格であれば、どんな美貌を持っていても、さほど毒にはならなかっただろう。


彼女は綺麗で、なおかつ毒と表現した女性の想い人の心に、触れてしまうようなタイプの人間だった。


蛍の母親にとって、蛍以上に、水が毒だった。
かつての自分の想い人、兄と同じ水という名前をつけて。
兄を失ってからは、水が自分の全てだった。


母親に取って、水は救いであると同時に、毒だったのだ。
決しては彼は、兄と同じではない。自分を愛してくれる存在ではない。
それでも彼女は、水を息子の水として見られなかった。彼女はずっと、毒を飲み続けていたのかもしれない。


自分と違う存在は、毒になりうる。
それは蛍が、水ではない男を汚いと言うことに、少し似ているかもしれない。


歪んでいて、毒にもなって。
そんな双子を変えるのが、下田という存在だった。

出会うことで世界に触れる

蛍と水が辿り着いた答えは違う。
その違いはやはり、下田という存在が大きい。


蛍は下田に出会い、世界に触れた。

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「汚い」と決めつけていたものに触れて、話をして、そうしなければ何一つ分からないことを知った。


何もしなくても、水のことは何でも分かった。
下田は違う。どこまで言っても他人だった。
だから触れて、話したのだ。


知りたかったから。分かりたかったから。


下田に会う前の蛍は、それこそ卵の中にいた状態だったのかもしれない。
手紙を落として慌てて外に飛び出した先に、下田がいた。その出会いが、蛍を変えていくのだ。


終盤の展開で、下田に出会い変わった蛍が、水を抱きしめる。
もう1つの存在ではないことを諭しながら。それでも命は美しいことを語りながら。


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蛍は水を誰よりも愛している。それはずっと変わらない。
でもそうするために、下田が必要なのだという。


これを私が上手く表現できないから、もどかしい。
下田と蛍の関係を、上手く説明できないのだ。
ただ、この上手く説明できない関係だからこそ、この物語はたまらなく面白いのだ。


言葉にできないけれど、なんとなく理解してしまう。納得してしまう。
それがもう、たまらない感覚なのだ。


あえて自分のまとまりきらない考えをまとめると、水と蛍はかつて1つだった。
今は違う。別れてしまったのだ。そうして二人は、互いに毒となりうる存在なのだ。
触れれば傷つけてしまう。


だからこそ、恐らく下田が必要なのだろう。
蛍と異なる水という存在に、水という世界に触れるために。
世界をつなげる、橋のようなイメージなのかもしれない。


蛍にとっての下田という存在ならば、作中に記載されている。
「意思」だ。
これまた少し分かりにくいが、こっちは何となく分かる。

私達をここから出して


蛍がそう思った時、日の丸が目の前に現れた。
日の丸が来て、下田が来る。出会った時と同じように。


卵から出たいという想いは、下田といたから生まれた。
下田がいるから、出ることができた。


なるほど、確かに下田は蛍の「意思」なのだ。


蛍は下田と出会い変わったが、下田もまた蛍と出会い変わっている。
いや、下田と出会って変わった蛍が、今度は下田を変えたのだろう。


巡り巡って。世界は少しずつ変わっていく。そんなことを、この作品を通して感じた。

終わりに


ここまで書いて分かるように、私は下田という人物が好きだ。
彼を澄んだ空気や水のような存在と捉えたこともあるが、何となくしっくり来ない。
実に捉えどころのない人物なのだ。


物事が上手くいかなかった蛍が、一緒にいただけで気持ちが楽になってしまう。
曇天模様を、快晴にしてしまうかのような男だ。
こんな男性がいたら、そりゃモテるだろう。モテなかったらきっと世界が間違っている(笑)


長くなった上に自分でもまとめきれなくなったが、ジュリエットの卵は非常に面白い作品だ。
読み終わった時、何か心に残るものがあるはずだ。


初めて読んでからもう10年以上経つが、久しぶりに読んでも少しも色褪せず、素晴らしいままだった。
素晴らしい作品なので、ぜひ読んで欲しい。


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